岡島
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始めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
レジリエンス研究教育推進コンソーシアムは2017年12月26日に発足したわけですけれども、まずは発足時、並びに当時の設立に向けた準備、そこに対してのお考えや思いをお伺いしたいと思います。大学・国立の研究所・民間企業それぞれのお立場から、お聞かせください。
始めに、遠藤先生、大学側としていかがでしたでしょうか? |
遠藤
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大学としては、ちょうど大学院の改組という時期でした。従来の「研究科・専攻」体制から、2020年に「学術院・研究群・学位プログラム」体制に移行することが決まっておりまして。当時私が所属していたリスク工学専攻というのが、実はちょっと特殊で。普通、専攻というのは下に学部・学科が所属しているんですが、うちの専攻は真下に学部・学科がない独立専攻だったんです。実は当時のリスク工学専攻は、社会的なインパクトや学生に対する訴求力というのが若干落ちていたんですね。それで、改組する時に、どのような形で続けていくかということが議論になったんです。それまでは我々大学の専任教員だけで専攻を運営していたわけですが、果たしてそれでいいのか。つまり、社会のニーズや変化にリアルタイムで対応できないような体制では独立専攻である意味がない。独立専攻であることを活かすためには、改組をきっかけにして、研究所や企業と一緒に学位プログラムを運営する形である「協働大学院方式」に衣替えした方がいいのではないかという発想が生まれました。
「協働大学院方式」というのは、色々な研究機関や企業でコンソーシアムを作り、そのコンソーシアムで学位プログラムの運営をしていくという大学院の方式なんですけれども、そのためにはコンソーシアムを作らないといけない、さあどうしよう、ということで、最初に筑波大学の真横の防災科研の林理事長(当時)をお伺いしました。そこで林先生から「研究機関が学生指導をすることができて、学位を出すところまで行けることがユニークで面白い」と言っていただいたのが、コンソーシアム発足の一番大きな原動力になりましたね。 |
岡島
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続いて林先生に前会長としてお伺いしますが、防災科研としてコンソーシアムに参加するという依頼が届いた時にどうお考えになりましたか?またそこに会長として参加なさることになってどのように感じられましたか? |
林
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遠藤先生からお話が来る前は、まさか筑波大学と一緒に何かできるとは思っていなかったです。大学との接点を見つけるのはなかなか難しいと思っていたところ、むしろ「飛んで火にいる夏の虫」というか「やりたい」と言ってくださるから、「それはいいじゃないか」と。
僕、前職が附置研究所というところなんですが、附置研は研究組織なので学生定員を持っていないんです。それで、学部から協力講座という形で学生を配当いただいて学生指導を行うという体制になっていました。僕としては、研究のフロンティアをやっている組織に、その次の世代を担う有意なユーザーがいてくれることが活性化に繋がるのではないかとずっと思っていたので、お話をいただいたときに、協力講座ではなく協働大学院の正規のメンバーとして参画できるというフレームを紹介いただいたと解釈して、これはぜひ乗るべしと。
当時の説明は、つくば市にある国公立や民間の色々な研究組織を中心にするということで、「つくば」という場所のアイデンティティーを持ちつつ異分野交流ができるというのは、非常に良いことだと思いました。 |
岡島
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甘利さんには発足時から副会長として参画いただいており、当時の様子をお伺いしたいのですが、それ以前から非常勤講師としてお力添えいただいておりました。このコンソーシアムの話が始まって、民間企業として、また、副会長として参画されることに対していかがでしたでしょうか? |
甘利
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筑波大学との縁の始まりは、私もまだ髪の毛が黒々としており、遠藤先生も若手の先生だった頃の20年くらい前でしょうか。当時、セコムにいた筑波大学OBを介してシンポジウムでの講演を依頼いただき「セキュリティとは何か」という話をしたのがきっかけです。それをお聞きいただいたリスク工学専攻の先生方に私の話を気に入っていただき、「リスクマネジメント序論」というオムニバス形式の講義で民間企業の立場から話してもらえないかということで、その後、毎年一回、筑波大学で講義をしていました。そうしていたところ、ある時突然、遠藤先生から「今度こういうコンソーシアムを作るのだけど、民間企業としてセコムさんに参画してもらえませんか?」という話を頂戴しました。
ちょうどその頃、セコムという会社は「あんしんプラットフォーム構想」を打ち出し始めていて、セコムだけではできないところを産官学で力を合わせて安心を提供できる体制をつくっていきたいという流れがありました。そんな全体構想の中で「産業界」や「官」はそれなりに今までもコネクションがあったけれども、「学」はこれらと比べて圧倒的に繋がりが薄かったのです。そのような状況もあり、このコンソーシアムに入るのは非常にいい機会ではなかろうか、ぜひ仲間に入れてもらおうという方向性になったのがスタートだったと記憶しています。 |
岡島
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民間企業と大学の個別教員との共同研究というのは従前からありましたが、教育の部分も含めたもっと広い連携というのは、かつては今以上に企業側の理解が得られにくい部分だったかと思いますが、セコムさんではそういう流れが高まってきた状況だったのでしょうか。 |
甘利
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セコムの創設者は、1979年にセコム科学技術財団を設立し、その時から安全・安心に関する研究に研究費を出す形で「学」の世界にも貢献しておりました。そういう全社的な文化がずっとありましたので、おそらく経営側もあまり抵抗はなかったのではないかと思います。 |