2022年2月14日(月)に開催されたJoint Seminar減災・レジリエンス研究教育推進コンソーシアム第2回共同シンポジウム「地域性を考えた減災・レジリエンスのあり方」では、ご参加の皆様に多くの質問をいただき、活発なパネルディスカッションとなりました。そこで、時間切れで取り上げきれなかった下記の質問について、あらためてパネルディスカッションのパネラーの方々にうかがいました(一部文章を編集しています)。
■テーマ1
最新の技術による情報集積や共有が防災に役立つということが分かりました。ドローンやデジタルのアーカイブだけでなく、スマホの利用等、様々なお話が出てきましたが、例えば、災害に関するデータを、即時的に、個人属性(世代・性格等)や地域性を反映させた使い方ができるような技術開発は、今後どのように進展すると思われますか。またそれがどのように防災に役立つと思われますか。
【回答】
→(河田 惠昭先生) 明らかに自助、共助レベルで役に立つと思います。そうするとデータに個人属性や地域性を含む必要があり、ビッグデータのような形では利用できないでしょう。
→(林 勲男先生) サイトにアクセスして、リスクあるいはその回避のための情報を得るのではなく、自分の位置情報をもとに必要な情報が送られてくるというのは実現できそうに思います。
→(小山 健宏先生) SNSのように個人が、自助・共助の観点で発信する情報がよりリッチになってくるかと思います。
■テーマ2
「3密(科学知)を言い訳に、葬式(ローカルな文化実践・在来知)を手抜きする」というご意見が胸に響きました。それが今のスマホをはじめとする一方的な技術信奉(これさえあれば大丈夫という考え方)の危険性だとも思います。パネルディスカッションでも「科学知」と「在来知」のバランスをとることが重要というお話がありましたが、先生方はこの「バランス」についてどう取っていけばよいと思われますか。
【回答】
→(河田 惠昭先生) バランスというより、災害文化(在来知)が災害文明(科学知)の上位に位置する限り問題は起こらないはずです。科学知が優位であるという考え方に問題があるのです。
→(林 勲男先生) 近親者の死に対してはできる限り「普通」の供養の手続きをしてあげたいとほとんどの遺族は考えます。地域によっては、それが僧侶による読経や、参会者が線香を上げることだけでなく、その土地独自の葬送文化にのっとっていることを望むことがあります。それは非常時には省略可能なもの、あるいは実施不可能なものと判断し、行わないこともあり得ます。そこには非科学的とか非合理的という判断ではなく、「慣習」や「伝統」という地域文化に則った対処の重要性は、グリーフケアの観点からも指摘されています。「~してあげられなかった」「~してあげればよかった」と後で悔いたり、そのことが生活再建の一歩を踏み出すことに障壁となったり、遅らせたりすることもあります。まさにレジリエンスに関わることです。科学知と在来知を対立概念と捉えるのではなく、関わる分野の異なる相補的な関係と捉えることが大切だと思います。
→(小山 健宏先生) 気象文化に関しても、科学知のみならず、在来知(○○山に雲がかかると。。。)は重要であり、人の行動に繋がりやすいのは在来知でもあるかと思います。よって、どちらかという優先順位はなく、共存するものと考えます。
■テーマ3
「語り部は主観的」とのお話があり、また、過去の災害の歴史をライブラリ、アーカイブ等で学ぶ重要性は確かに非常に高いと思いますが、一方で「クラカタウ噴火の話はライブラリにはあるかもしれないが人々は関心を持たない」という難しさがあります。人々の関心をかきたてるためにも、語り部の存在意義はかなりあると思うのですが、社会全体として、「主観知」「客観知」のバランスをどうとればよろしいでしょうか。
【回答】
→(河田 惠昭先生) 災害データベースやアーカイブズは、それが役に立つと考えて使う人が居なければ結局何の役にも立たないことがわかってきました。つまり、図書館の本棚に並んだ書籍と同じです。語り部は主観的というのは、ご本人の問題を語っているからであり、そうでなくて第三者に役に立つからと考えてやっていただいても役に立たないし、長続きしないでしょう。語ることが本人にとって癒しになっているのです。未災者の語り部は、実はご本人にとって役に立っているのです。
→(林 勲男先生) 災害体験者の語りには、ご自身の体験を語るわけですから臨場感がありますし、主観的だからこそ伝える力があり、聞き手の共感を得るのでしょう。出来事としての災害の客観的な事実に照らしてこそ、それを直接体験した方のお話の内容と語り方をより深く理解できると私は考えています。
→(小山 健宏先生) 民間気象会社として防災サービスを提供する立場としましては、様々な知見や技術をより自分事にして頂けるようにコンテンツ開発やサービス提供方法を改善していくことが使命ととらえています。
また、林勲男先生のご講演に関していただいたご質問について、林先生より下記のようにご回答いただきました。
■林勲男先生への質問
スマトラ沖大地震の際に日本メディアの記者として、バンダ・アチェで取材をしていました。村全体が流され、生き残った方が数名しかいないといった場所もあり、過酷な状況でしたが、被災者の方から津波の前兆について、インタビューを重ねるとかなりの共通点がありました。急速に潮が引き、遠浅になった。波は緩やかに押し寄せてきた等、東日本大震災とも共通する現象も多かったのですが、音にまつわる話をされる方も相当数おられました。具体的には、津波が来る直前にミニバイクのアクセルを全開にしたような音とか、キーンという甲高い音を聞いたという方がおられました。
林先生のお話しになられた在来知は視覚によるものが主でしたが、世界の在来知には、聴覚、嗅覚にまつわるものも多くあるかと思います。それらを日本の国土にも役立つように援用し、ハザードマップ等に反映するといった取り組みはレジリエンス強化に有効かと思いますが、どうお考えですか?もし、すでに始まっているようでしたら、先行例をご教示いただけるとありがたいです。
【回答】
→(林 勲男先生) 私が現地調査した1998年7月発生のアイタペ津波災害(パプアニューギニア)の被災地でも、地震後に沖で飛行機かヘリコプターのような音がしたので、大勢の人びとが不思議がってその音源を知ろうとして海辺に立っていると、津波がものすごい勢いでやってきた、と何人もの生存者から聞きました。その後、日本のアジア防災センターが、津波防災啓発用のポスターを作ってパプアニューギニア国内で配布しました。そこには地震、引き潮、海鳴りが、津波の事前現象としてすべて発生するかのような絵が描かれています。しかし、遠地地震による津波では地震を感じることはないですし、すべての津波が地震によるわけでもありません。今年1月15日のトンガの海底火山フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイの噴火による津波や、1792(寛政4)年の雲仙岳噴火活動に伴う地震で島原の眉山が崩落し、大量の土砂が海に落ちたことで起きた津波(「島原大変肥後迷惑」)などの例もあります。引き潮や海鳴りも、津波の前に必ず起こる現象というわけではありませんが、起きた場合は津波襲来のかなり可能性が高いと考えることが大事です。
より重要なのは、沿岸にいる時に地震を感じたら、津波の可能性を考えて海岸からなるべく遠くか、高いビルのなるべく上の方に避難することです。ハザードマップは災害リスクと避難などの危険回避にとって重要な情報(津波避難ビルやタワーも含めて)が記載されていますが、すべてを紙ベースのマップに載せることには限界があります。
災害に関係する在来知は、限定された地域で過去の経験の蓄積から伝承されてきているものですので、場所が変われば、あるいは時代が変われば役立たなくなる可能性も含んでいます。科学的な知識で検証・補完することが大切です。日ごろから身の回りの安全・危険情報を知っておくことと、いざという時に的確な情報を得るための媒体を使えるようにしておくことが大切です。